連載『脳の仕様書を読み解く』‐4(全10回)
世界にフィルターがない「感覚の過負荷」〜なぜ、ただ出かけただけで疲れるのか〜
休日にスーパーやドラッグストアへ日用品を買いに行っただけなのに、帰宅すると疲れてしまい、数時間ベッドから起き上がれなくなる。周りの人たちは平気な顔をして買い物を楽しんでいるのに、自分だけがぐったりしている。
そんな自分に対して、「私はなんて体力がなくて、ひ弱なんだろう」と落ち込んでいませんか?
「こんな少しの外出で動けなくなるなんて、自分だけがおかしいのではないか」。そう悩む必要はありません。実は心理学や医学の研究では、人口の約15〜20%(なんと5人に1人!)が、あなたと同じように「刺激を強く受け取りすぎる脳の仕様(気質)」を持っていると言われています。左利きの人が約10%ですから、実はそれよりもずっと身近で、決して珍しいことではないのです。
あなたが外出で疲弊してしまうのは、「体力のなさ」が原因ではありません。それは、あなたの脳が持つ情報処理のフィルターが、他の人よりも「感度が高すぎる『高性能マイク』」になっているという、物理的な「脳(というハードウェア)の仕様」なのです。
今回は、この「感覚の過負荷(感覚過敏)」の仕組みを知り、過酷な情報社会から脳を守るための物理的な防衛術を読み解いていきましょう。
1. 脳の仕様書:すべてを拾い上げる「高性能マイク」
私たちが生きている世界は、とてつもない量の情報(刺激)で溢れています。標準的な脳には、自分にとって不要な情報を自動的にカットする「ノイズキャンセリング機能(フィルター)」が備わっています。そのため、空調の音や、すれ違う人の足音、蛍光灯の眩しさを無意識のうちにスルーすることができます。
しかし、キャパオーバーになりやすい方の脳は、この機能がうまく働かず、代わりに「感度が高すぎる『高性能マイク』」が常時オンになっている状態なのです。 エアコンの駆動音、誰かの香水の匂い、遠くで泣いている子どもの声、チカチカする照明の光、さらには「空気がピリピリと揺れる感覚」まで。すべての情報が、まるで大音量のスピーカーを通したように、ダイレクトに脳へ流れ込んでしまうのです。
2. なぜ、圧倒的に疲れるのか?(見張り番のオーバーヒート)
この「高性能マイク」がオンのままで、情報が溢れる人混みやスーパーに行くと何が起こるでしょうか。
第2回でお話しした、あなたの脳の奥にいる「見張り番(扁桃体)」が、次々と拾い上げられる大量の刺激をすべて「命を脅かす危険信号かもしれない!」と勘違いし、四方八方で警戒アラームを鳴らし始めます。 そして、第3回でお話しした「指令塔(前頭前野)」が、その膨大な情報を必死に処理しようとして、あっという間に脳の燃料(ガソリン)を喰い尽くしてしまいます。
つまり、あなたがベッドから動けなくなるのは、筋肉が疲労しているからではありません。「脳が情報処理のしすぎで完全にオーバーヒートし、強制シャットダウンを起こしている」という、物理的な限界のサインなのです。
3. アナログな生存戦略 —— 物理的な「情報の遮断」
常に全方位の刺激を拾い続ける「高性能マイク」を持つ脳を休ませるためには、気合や根性ではなく、環境と身体を使った「物理的なハック(ちょっとした工夫)」が必要です。
① 目と耳の物理的シャットアウト
脳の処理の約8割は「視覚」が占めていると言われています。外出時はノイズキャンセリングイヤホン(または耳栓)や、色の薄いサングラスを活用し、「マイクの入力を物理的に絞る(外側に壁を作る)」ことを徹底してください。これだけで、脳の燃料消費は劇的に抑えられます。
② 「偽の休息」をやめ、視覚を塞ぐ
疲れて帰宅したとき、ソファに横たわってスマホやSNSをダラダラと見ていませんか?実はこれ、体は休んでいても、脳には猛スピードで視覚情報が流れ込み続けている「最悪の燃料消費(インプット過多)」の状態です。 本当に脳疲労が激しいときは、スマホを遠くに置き、部屋を暗くして、アイマスクで「視覚からの入力を物理的にゼロにする」こと。これが最強のリカバリーになります。
③ 重力と温かさのハック
言葉で「休もう」と思っても脳のアラームが止まらないときは、少し重ための布団(ウェイトブランケットなど)をかぶるか、温かい飲みもの、温かい湯船に浸かってみてください。「適度な重み(圧迫覚)」と「温かさ」は、脳の古い部分に「ここは安全なシェルターの中だ」というシグナルを送り、強制的にリラックスの神経に切り替えてくれます。
4. 現場のヒント:社会に広がる「クワイエットアワー」
「こんなことで疲れるなんて、自分が弱いだけだ」と思う必要はありません。なぜなら今、社会の側が私たちの脳の仕様に歩み寄る動きを見せ始めているからです。
近年、一部のスーパーやドラッグストアにおいて「クワイエットアワー」と呼ばれる取り組みが広がっています。これは、感覚過敏を持つ方々が安心して買い物ができるよう、特定の時間帯だけ店内の照明を落とし、BGMやアナウンスを消すという素晴らしい配慮です。
第2回で紹介した「安心ルーム(カームダウンルーム)」と同様に、こうした取り組みが存在すること自体が、「あなたの感じている苦痛は、決して甘えや気のせいではなく、環境を調整すべき正当な理由なのだ」という社会からの肯定的なメッセージなのです。
5. 自分を責めるのをやめる、という最強の薬
「私は人より疲れやすいからダメなんだ」 そう自分を責めるのは、今日で終わりにしましょう。
今、世界中で「ニューロダイバーシティ(脳の多様性)」という考え方が広まっています。パソコンにWindowsやMacがあるように、脳のハードウェアにも様々な仕様があり、どれも「自然な多様性」であって、決して「間違い」や「欠陥」ではないという考え方です。
あなたの脳も劣っているわけではありません。他の人が気づかない微細な情報までキャッチできる「超高感度センサー」を積んでいるだけなのです。高感度だからこそ、意図的に電源をオフにし、情報を一旦遮断する手厚いメンテナンスが必要になります。
「あ、今、脳のマイクが全開になってオーバーヒートしているな。仕様通りだ」 そう気づいたら、スッと目を閉じ、耳を塞いでみてください。自分の脳という特別なハードウェアの仕様を理解し、守る技術を身につけることが、この騒がしい世界を穏やかに生き抜くための最強の盾となるはずです。
【次回予告】 休日はスマホを見て1日が終わってしまい、かえって疲労感が抜けない。 次回は、脳のガソリンを本当に回復させるための「偽の休息と、正しい脳の休ませ方」について深掘りします。
【参考文献・出典】
Aron, E. N., & Aron, A. (1997). Sensory-processing sensitivity and its relation to introversion and emotionality. Journal of Personality and Social Psychology.(※「人口の15〜20%が敏感な気質を持つ」というHSP/SPSの提唱・実証データ)
Dunn, W. (2001). The sensations of everyday life: empirical, theoretical, and pragmatic considerations. The American Journal of Occupational Therapy.(※感覚プロファイルと「脳のフィルター機能」の概念)
Singer, J. (1998). Odd People In: The Birth of Community Amongst People on the Autistic Spectrum.(※「ニューロダイバーシティ(脳の多様性)」という概念の提唱)
日本各地の小売店(スーパー・ドラッグストア等)で導入が進む「クワイエットアワー」の取り組み事例(※発祥はイギリス自閉症協会)。